インタビュー

ベルリン、ボストン
異文化の旅

前編|佐藤那美×秩父英里 対談

(写真左)佐藤那美:サウンドアーティスト、(写真右)秩父英里:作曲家・ピアニスト

コロナウィルスが世界中で猛威を振るう中、海外に拠点を考えていた仙台発の二人のミュージシャンも活動の場を地元にすることに舵を切らざるを得なくなりました。
本来、それぞれの拠点で活動しているはずだった、サウンドアーティストの佐藤那美さんと作曲家・ピアニストの秩父英里さんが仙台で対談。
前半は、二人が活動していたベルリンとボストンで感じた、カルチャーの違いを通わせます。

≪帰ることにした、行きたかった≫

コロナウィルスの感染が世界的に拡大する中、秩父さんが当時住んでいたボストンから日本に帰国を決めたタイミングの状況を教えてください。

秩父:
2020年3月末ですね。ロサンゼルスなどアメリカの他の地域ではだいぶ感染者が増えていて、ボストンでも毎日増えつつありました。周りでも、演奏のツアーに出ていた人がかかってしまった例もありました。当時の日本人のルームメイトは先に帰国していて、私はボストンでできることをやろうかと思っていたんですが、保険のことや感染した時のこと、アジア人に対する差別への不安がありましたし、知人からのアドバイスや日本にいる家族のことなどを総合的に判断して、3月末に帰国を決めました。

帰るしかなかったとういう状況でしょうか。

秩父:
どちらでも良かったとは思いますが、家族や知人と話す中で帰国しようという気持ちになりました。向こうにいてできることも少なかったこともありますね。店も閉まっているし、学校は3月中に閉鎖していて、寮にいた子は追い出されてしまったり、かなり大変そうでした。引っ越すことは感染のリスクもありますしね。多くの人は自分の母国に帰っていきました。街全体がどんよりしているように感じました。

秩父英里さん

母国に入れない可能性もありましたね。

秩父:
ビザによっては帰って来られなかった可能性はあります。私はもう卒業していましたが、母国に帰った友人はボストンの大学の授業をオンラインで受けていて、時差があるので夜中の1時頃授業を受けて、2〜3時間寝て、朝の5時からまた受けたりしていたようです。

那美さんは、本来であればアイルランドに行く予定だったんですよね。

佐藤:
まさに秩父さんが日本に帰ってきた3月後半にアイルランドに行く予定でした。夏にいくつかスケジュールが入っていたので、まずは現地の語学学校に行こうかなと思っていましたが、出演のオファーを貰っていたフェスも無くなってしまったし、クラブイベントもないし、今行っても……という感じで。結局、出発予定日だった2日前にEUが完全ロックダウンして入れなくなってしまいました。本当は、私も秩父さんも今仙台にいないはずだったのに(笑)。ここにいるって不思議な感じがします。

佐藤那美さん

≪曲作りで、ルーツに立ち還る≫

那美さんは、ミュージックビデオ『TEN』を撮影されていますね。

佐藤:
ちょうど撮り終わって編集中(取材日現在)です。岩手の紫波町(しわちょう)と遠野市で撮影しました。

秩父:
佐藤さんの生まれはどこですか?

佐藤:
岩手の紫波町ってところの生まれなんです。盛岡まで車で30分くらいの所です。そこに3歳までいて、3歳から19歳は父の実家の荒浜で育ちました。

秩父:
生まれ育ったルーツを撮影地にしたのには何か想いがあるんですか?

佐藤:
正直、私は紫波町にそこまで強い想い入れはないんですが、例えば、民家とか畑みたいに、東北に住んでいる自分たちから見たら何でもない景色でも、古くからある土着的なカルチャーが色濃く出ている。そういうところをすくっていけたらいいなと思って。それで、山とか自分の好きな場所とかがビデオに出てきています(ビデオ制作は多様なメディアを活用した文化芸術創造支援事業の採択事業、2020年10月30日公開)。

秩父さんは、仙台に帰ってきたタイミングで、多様なメディアを活用した文化芸術創造支援事業の採択事業でもある「SENDAI JAZZ GUILD」の企画「秩父英里×仙台ジャズギルド Sound Map ←2020→ Sendai」(https://jazz-guild.com/sound-map-2020/)に声をかけられたんですよね。

秩父:
そうですね。サックスプレイヤーの名雪祥代さんらに声をかけてもらって。名雪さんとは、留学前、東北大学在学中に1〜2回演奏したことがありました。今回一緒に演奏したサックスプレイヤーの林宏樹さんとトランペットの菊田邦裕さんは、2019年1月に実施した私のリーダーライブでも演奏してくれていて、その時に名雪さんも聴きに来てくださっていました。

どんな風に誘われたんですか?

秩父:
皆さんコロナ禍で何かやりたかった時で、「英里ちゃんが作った曲を仙台の人で演奏したいです」と声をかけてくださいました。曲を書く機会ができたので、「仙台を小旅行するようなイメージしたもので作ろうと思うんです」と話したら「いいね!」っ言っていただいて。

曲作りでは、サウンドデザイナーの菅原宏之さんとフィールドレコーディングに行かれていますね。

秩父:
はい。菅原さんにざっくりと使いたい音を伝えながら、一緒に仙台のいろいろな場所を訪れて録りました。仙台空港、仙台駅、アーケード、本町の工事現場、広瀬川2〜3回、瑞鳳殿、いろいろ行きましたね。ちょうど緊急事態宣言が明けた頃で、車通りも増えて来ていたので、車の走る音も録りました。

どのようにして曲は組み立てていったのでしょうか。

秩父:
先程も話しましたが、コンセプトは「仙台を音で小旅行する」というのが大前提としてありました。具体的に曲をどう作ろうかと色々試す中で、仙台(SENDAI)の6文字に、ある規則性を持たせて音を当てはめたモチーフを作ってみました。ランダムに音を当てはめていったんです。それが、実際にピアノで色々弾いてみたフレーズの候補の中の一つにも近いイメージだったし、仙台をイメージした曲というコンセプトにも合っているなと思って。それを中心に曲を組み立てていくことにしました。はじめは1曲の予定だったのですが、最終的に全4楽章の組曲になりました。フィールドレコーディングを組み込みながら、だいたい30分くらいの組曲です。

曲の最後はすずめ踊りのイメージで終わっています。

秩父:
「定禅寺通をイメージするものを入れて欲しい」というオーダーがあって、私もここは外せないと思っていたので、どんな感じかなと見に行きました。
改めて歩いてみると、実際の定禅寺通は、オフィス街でもないし並木やグリーンベルトなど自然が溶け込んでいる。そして、買い物したりゆったり歩いている人が多く見受けられました。
また、定禅寺ストリートジャズフェスティバルもあります。こうしたイメージからストリート音楽の雰囲気にしようと思い、初めは、ニューオリンズの音楽であるセカンドラインの「タンタンタン、タンタン」というリズムパターンを使いました。その中で、よく考えたら、仙台にはすずめ踊りがあるな、と。こっちのほうが地域に根付いているサウンドじゃないかな?ということで改めて調べてみました。インターネットですずめ踊りの動画を検索して見て、拍子のここにアクセントがあるな、じゃあここのアクセントの特徴を使わせてもらおう、という感じで部分的に使ってみました。ライブを聴いてくれるお客さんも仙台の人が多く、すずめ踊りをわかっている。それをオンライン配信で外に伝えることもできるので、そういう要素を入れてみるのもいいかなと思ったんです。

≪カルチャーへの理解、心のでかさ≫

ここからは、それぞれの拠点だったボストン、ベルリンのお話を伺います。

佐藤:
ボストンってどんなところなんですか?

秩父:
海沿いの街ですね。位置関係としては、ボストンの南にニューヨーク、そのさらに南がワシントンDCです。アメリカの東側にあって緯度は北海道と同程度です。ロブスターやクラムチャウダー、野球のレッドソックスなどが有名ですが、かつてボストン茶会事件があったところなので、「ボストンティーパーティーティー」っていう可愛い木箱に入った紅茶も売られていて、お土産にちょうどいいんです(笑)。

佐藤:
面白い!(笑)。

秩父:
ベルリンにはどれくらい行っていたんですか?

佐藤:
2018年の秋に1ヶ月いて、その後アイルランドに2週間滞在していました。

秩父:
ベルリンはどんな街でした?

佐藤:
日本の感覚で行くと、街の治安は良くなくて、あまりきれいではないです。でも、皆、心がでかい。移民を多く受け入れている国なので、各々のカルチャーに対して理解が進んでいる。他者理解がないとやっていけないんだと思います。
例えば、ホームレスの人に対する反応。ベルリンの地下鉄は、日本の地下鉄のように区間に対してお金を払うのではなく時間制になっています。数百円の切符を買えば、ホームや車内に2時間はいられるので、地下鉄の構内にホームレスの人がたくさんいました。日本の風潮では、ホームレスの人と目を合わさず、いない者とするような冷たさがありますが、向こうは人として接していて、排除されていない感覚がある。心がでっかいな〜と思って。

秩父:
ボストンにも路上生活者と思われる人はいて、学校周辺にも常に複数人いたと思います。コンビニなどの前に座っていたり、お店のドアを開閉してチップをもらったり、缶をもって道ゆく人に挨拶したり。通行人の中には彼らと話をしている人もいましたね。
一方で、チャールズリバーなど街の景観が一望できる一等地でアパートの複数階を所有していて、ベビーシッターや犬の散歩係など何人もお手伝いさんを雇っているような方にもお会いしたことがあります。裕福でお金が余っている人もいれば、日々どうやって生きているのだろうと思う人もいる。両者は生きている世界が違うようにも見えましたが、どちらも同じ街に共存している……。
ちなみに、学生などお金がない人に対する制度は結構充実しています。私の場合、通常20ドル以上する美術館が無料、100ドル以上もする席があるボストン交響楽団の通常公演が年間3ドルほどのカードで何回も見られるなど、学生であることで恩恵も受けられたので、留学を通して、こうしたアメリカ社会の構造を一部垣間見ることができました。

佐藤:
日本は貧富の差が見えづらいですよね。

秩父:
そうですね。アメリカは自己責任の国だからかな。保険なども高いです。払えれば問題ないのですが、払えないとまともに医療が受けられないということですよね。私も卒業直後のお金がない時、友達とどんな制度があるのか色々探しました。一応加入できても保障内容が違っていたり、所得によって格差が如実に現れることを実感しました。

佐藤:
アイルランドに住んでいる友達によると、ヨーロッパでは国による格差が大きいそうです。アイルランドは国の6分の1の国土がイギリス領なんで、同じ島の中なのに少し北に行くだけで保険制度や対応が違う。コロナ禍でもアイルランドから北アイルランドには絶対に行けないけれど、北アイルランドからダブリンには来れちゃうとか。

お二人それぞれ海外にいらした時と仙台と、周囲の違いはどんなところでしょうか。

佐藤:
やることにもよると思うけど、海外は時間を守らない!(笑)。「10時にスタジオでね」って約束したら、日本なら10時に集まるけど海外は1〜2時間来ない!初め、きっと自分がリスペクトされていないんだと思ってすごく落ち込んで。ある時、これは全員に対して時間を守らないと分かったものの……腹が立ちません?

秩父:
仙台には「仙台時間」がありますよね(笑)。ぴったりに来ないと分かっていると、自分も遅れてしまうこともありました……。よくないですね。

佐藤:
あ、そうそう、最終的には自分もそこに甘えてくるんですけどね(笑)。

秩父:
学校だとスタジオを使える時間が決まっていたので、意外と来る人は来る。でも時間通りで早いじゃんみたいな気にもなります(笑)。一方で、レコーディングに来なくて本当に困ったことがあります。

佐藤:
時間通りに来ないのもそうだけど、直前に誰かと喧嘩したテンションのままだったり、今起きたばっかりだとかで全然良い音が出ないのも困る。

秩父:
それは困りますね……。

佐藤:
暖かい地域出身の人は緩い気がする。極端な話、近代まで農業が生活のベース、且つ1年の半分が冬の東北って暖かいうちから次の春までの準備をしないと死ぬかもしれない。だから、ちゃんとスケジュールを立てて几帳面に進んでいる真面目さがあると思うんです。

秩父:
確かに気候はあるかな〜。マイアミ出身の子がいたんだけど、15分くらい遅れてきてもあっけらかんと「Yeah!」みたいな感じでスタジオ入ってきました(笑)。

佐藤:
今、イスラエルで、ジャズミュージシャンがたくさん生まれている印象があります。

秩父:
そうですね。バークリーで知り合ったイスラエル人の友達に聞いたところ、音楽学校があるみたいで、バークリーもその学校出身の子が沢山いて、才能も技術もどちらもバランスよく兼ね備えている人が多かった印象です。
それから、インドネシア出身の友人はパッションがすごい人が多かったように思います。国としても今勢いがあるし、熱帯だからなのかガッツがある人が多くて、楽曲もパワフルだったり、楽器のアンサンブルのオーケストレーションも上手な人が多い感覚がありました。現地の伝統的な音楽へのリスペクトも高く、バークリーの中でもアンサンブルを作って活動していました。

佐藤:
それって近年の話だと思います。アメリカ・ヨーロッパのミュージシャンがどこのジャンルの業界でもすごいというのがあったと思うんですが、中東、東南アジアが才能を発揮できる世の中になってきている。

秩父:
発信かもしれませんね。見えなかったものが見えるようになってきた。

文化的なものが背景にあるのかもしれませんね。

≪コロナのその先、これから≫

コロナウィルスが収束したとして、お二人はいずれ海外へ拠点を移したいですか?

秩父:
考え中ですね。この後どうなるかわからないし、私のそもそものスタンスが、そうなったらその時考えようみたいなところがあるんです。
まだ見ていない世界も沢山あるし、仲間やコミュニティは大切にしながら、いろいろ足を運んでみたいし。新しい場所では感じることも変わるので、今はまだ、音や音楽を表現するのに場所は問わないでやれたらいいなと思っています。

環境によって作る音楽は変わると思うけど、発信の面でいうと方法はいろいろとありますしね。

秩父:
そうですね。環境で聴くものも変わるから。それこそベルリンとか住んでみたいですね。

那美さんは、しばらくは仙台で活動しますか?

佐藤:
そうですね。2020年の3月にアイルランドに行けなくなって、9月くらいまですごく焦っていたんです。「いつ行けるかな、ビザどうなるんだろう?」とか。でも、今はあまり焦っていないですね。いつ行けるかわからないと思っていると自分が辛くなってしまう。「流れのままに、なんとかなるだろう、行ける時にいけたらいいや」って。その方が、今自分が住んでいる場所にちゃんと向き合っていける。

秩父:
向かい風が吹いている時、自分がどうしようもない所にいて、抗ってちょっと抜けられたとしてもその後体力がなくなってしまう。そうすると、たとえその後風が止んでも歩けないかもしれないし。わ〜って風と共に動いていけばいいかなみたいに思っていますね。

佐藤:
その話でいうと、私にとって音楽って小舟。音楽という船に乗っていて、時々嵐に巻き込まれたり、ぐん、と進んでいたり、その中で見せてくれる景色の中で色々なことを学んで、次の航海に出る知恵を貰ったり貰わなかったりして、自分の意思とは関係なく進んで行く……。今の秩父さんの話と似ているなと思った。

秩父:
そうですね。私は音楽とは歯磨きって答えることがあります(笑)。面倒くさい時もあれば、サッパリして気分がいいときもある……。楽しいけれど、好きか嫌いかっていう感じではなく、生活に馴染んでいるという感じですね。

掲載:2021年3月23日

取材:2020年10月

企画・取材・構成 奥口文結(FOLK GLOCALWORKS)、濱田直樹(株式会社KUNK)

このインタビューは、「多様なメディアを活用した文化芸術創造支援事業」の助成事業実施者に文化芸術活動や新型コロナウイルス感染症の影響等について伺ったものです。

当日は、身体的距離確保やマスク着用などの新型コロナウイルス感染症対策を行いながら、取材を行いました。写真撮影時には、マスクを外して撮影している場合があります。

Nami Sato / 佐藤那美
1990年生まれ。サウンドアーティスト。宮城県仙台市荒浜にて育つ。活動拠点を仙台に置き、フィールドレコーディング、アナログシンセサイザー、アンビエント、ストリングスなどのサウンドを取り入れた楽曲を制作している。東日本大震災をきっかけに音楽制作を本格的にはじめる。2013年、震災で失われた故郷の再構築を試みたアルバム “ARAHAMA callings” を配信リリース。2015年3月11日から毎年、母校である震災遺構荒浜小学校での「HOPE FOR project」にて會田茂一、恒岡章(Hi-STANDARD)、HUNGER(GAGLE)らとライブセッションを継続している。2018年 “Red Bull Music Academy 2018 Berlin” に日本代表として選出。2019年、ロンドンを拠点とするレーベルTHE AMBIENT ZONEよりEP “OUR MAP HERE” をリリース、BBC等多くの海外メディアに取り上げられる。2021年3月31日、最新フルアルバム “World Sketch Monologue” をリリース予定。


Eri Chichibu / 秩父英里
仙台市出身。作曲家・ピアニスト。仙台二高・東北大学教育学部 卒業。同大学院に進学するも入学当日に休学届けを出し、紆余曲折を経て、2016年9月バークリー音楽大学へ入学。Jazz Composition およびFilm Scoring の2つを主専攻、Video Game Scoring を副専攻し、2019年12月首席で卒業。世界観を大切に作られた楽曲は、絵画にも例えられ、海外で数々の賞を受賞するなど国際的にも評価されている。(2020, 2019 ASCAP Foundation Herb Alpert Young Jazz Composer Award、2020 Owen Prizeなど) 2020年7月には、仙台を小旅行するというコンセプトでジャズアンサンブルと環境音を掛け合わせた新しい形の組曲「Sound Map ←2020→ Sendai」を発表、また、2020年全日本大学女子駅伝中継テーマ曲「Beyond the Moment」(日本テレビ系列)の制作やNFBT 学会への参加など活動の幅を広げている。自身のプロジェクトのほか、ゲーム・映像作品等のメディアやプロゲーマー等個人への楽曲提供も行っており、アートや心理学など他領域とのコラボも注目される気鋭の音楽家。